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東京地方裁判所 昭和26年(ワ)3404号 判決

原告 真下嘉吉

被告 日本グラフイツク映画株式会社

被告補助参加人 江戸橋商事株式会社

主文

本件訴訟は昭和二十七年六月六日成立した裁判上の和解により終了した。

本件期日指定申立後の訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人の主張

(1)  原告は本訴において、被告所有の別紙目録記載の土地建物につき昭和二十五年九月二十六日代物弁済により所有権を取得したことを請求原因として、被告に対し右土地並びに建物につき所有権移転登記手続並びに明渡を請求したところ、昭和二十七年六月六日左記条項により裁判上の和解が成立した。

和解条項

(一)  原告は被告に対し、被告の映画製作費用に充てるために、金七〇万円を、無利息、昭和二十八年三月末日限り持参返済の約で、昭和二十七年六月十日に貸与すること。

(二)  被告は原告に対し、金二二五万円の債務(昭和二十五年六月二十五日被告が振出した金額一七七万円の約束手形、同年八月三十日被告が振出した金額五二五、〇〇〇円の約束手形による手形債務合計二、二九五、〇〇〇円の内)を負つていることを認め、これを次のとおり原告に持参支払うこと。

イ、昭和二十七年九月末日限り 金一〇〇万円

ロ、同年十二月末日限り    金一〇〇万円

ハ、昭和二十八年三月末日限り  金二五万円

(三)  第一、二項の割賦金の支払を一回でも遅滞するときは、被告は期限の利益を失い、原告から何等の意思表示を要せず、被告所有の後記目録の不動産は第一、二項の債務合計二九五万円の代物弁済として原告の所有に帰するものとする。この場合においては、被告は直ちに原告のために所有権移転登記手続をなし、かつこれを原告に明渡すこと。

後記不動産が右代物弁済として原告の所有に帰したときは、原告はすでに被告から一部弁済を受けた金員を、被告に返さなければならない。この返還は被告のなす所有権移転登記及び明渡と引換にすること。

(四)  略。

(五)  被告が第一、二項の債務を弁済期に履行したときは、原告は、後記目録の不動産につき、昭和二十五年三月二十七日東京法務局受附第一八五二号をもつて原告のためになされた、同日附契約による、債権者真下嘉吉、債務者文芸映画製作株式会社(被告会社の旧商号)、貸金額七〇万円、弁済期同年九月二十六日、利息年一割なる抵当権設定登記、同日東京法務局受附第一八五三号をもつて原告のためなされた、同日附右抵当債務を期限に弁済しないことを条件とする代物弁済契約による所有権移転請求権保全の仮登記の各抹消登記手続をすること。

(六)  以下略。

不動産目録

(別紙目録と同一につき略)

(2)  ところが右和解条項第三項と第五項とは互に矛盾し、この点において当事者双方に重大な錯誤がある。

即ち、第五項掲記の抵当権及び代物弁済の予約の登記は、登記簿上金七〇万円の債権につきなされているが、当事者双方の真意は原告の被告に対する金一五〇万円の債権額につき抵当権を設定し代物弁済の予約をすることにあり、金一五〇万円の支払がなされない限り右の登記を抹消しないことを約したものであつた。右債権額はその後利息損害金を加えて金一七〇万円となり、更にその後貸付けた金五二五、〇〇〇円についても当事者間に同様の約束がなされ、更に本件和解においても、同一趣旨のもとに貸金合計金二九五万円について本件不動産につき代物弁済の予約をなしながら、金七〇万円の債権に関する抵当権及び代物弁済予約の登記を存置させ、金二九五万円の弁済がなされない限り右の登記を抹消しないこととしたのである。

従つて原被告間においては第三項と第五項との間に何ら矛盾はないのであるが、右両条項を客観的に観察するときは、第三項においては基本債権額は金二九五万円と表示されており、他方第五項においては金七〇万円の債権額についての抵当権設定登記及び代物弁済の予約による所有権移転請求権保全の仮登記が有効とされているのであつて、これを有効とすれば、原告は金七〇万円の弁済に代えて本件不動産を取得し得ることとなり、その結果、第三項の債権金二九五万円から右金七〇万円を差引いた金二二五万円の残額について尚被告の債務が残存することになる。然るに第三項によるときは原告が本件不動産を取得すれば金二九五万円の債権は全額消滅するのであるから、右両項は明らかに矛盾する和解条項と言わなければならない。

(3)  そこで第三項が有効であつて金七〇万円についての抵当権及び代物弁済の予約は既に消滅していると解すると、本件和解成立当時においては本件不動産は既に(昭和二十六年十月三十日)被告から補助参加会社に譲渡されていたのであるから、第三項記載のように本件不動産の所有権が被告の割賦金弁済の不屡行により当然原告に移転することも、また原被告双方の意思表示により右所有権移転の登記手続をなすことも、共に不可能であつた。従つて本件和解は不能の条項を規定したこととなり、この点において原告に法律上の重大な錯誤があつたものと言わなければならない。

(4)  更に原告は第五項掲記の代物弁済契約に基き被告に対し本件不動産に関する所有権取得の意思表示をした上で本件訴訟を提起したのであるが、明渡及び所有権移転登記を得ていないので、未だ完全な所有権を取得しておらず、従つて被告に対する債権も消滅していなかつた。そこで原告は本件和解において右所有権取得の意思表示を撤回して既存の代物弁済契約に基く所有権移転請求権保全の仮登記を有効なものとした上で本件和解を締結したのである。然るに代物弁済契約に基いて所有権取得の意思表示をした以上は、たとい引渡又は所有権移転登記の完了前でも所有権は移転し、もはや所有権取得の意思表示の撤回は許されないと解する者もある。原告はかかる解釈は不当と信ずるが、仮にこの説が正しいとすると、和解条項第五項は効力を生じる余地がないことになり、かくては原告において重大な法律上の錯誤があつたものと断ぜざるを得ない。而してこの点は法律解釈の差異から生ずるものであるから、原告の錯誤が重大な過失に基くものと言うことはできない。

(5)  従つて本件和解は一方において矛盾性を有して不完全であるのみならず、他方において当事者双方の重大な錯誤に基くものであるから無効である。よつて、更に口頭弁論の続行を求める。

二、被告訴訟代理人の主張

原告の主張事実は全部認める。被告の見解は原告の主張するところと全く同一である。

理由

原告が昭和二十五年三月二十七日被告会社(当時の商号は文芸映画製作株式会社)に対して有する弁済期を同年九月二十六日とする金一五〇万円の貸金債権につき、被告会社の所有に係る別紙目録記載の土地建物に抵当権の設定を受けたが、同日受附を以つてなされた右抵当権設定登記手続上は債権額を金七〇万円としたこと、同時に右当事者間において被告が右抵当債務を期日に弁済しないことを条件とする前記不動産の代物弁済契約(原告も被告もこれを代物弁済の予約と称しているが、その事実関係が上記のとおりであることは当事者間に争いがないから、これを代物弁済の予約であるとするのは当事者双方の誤解であろう)がなされ、同日受附を以つて原告のため右契約による所有権移転請求権保全の仮登記(登記された債権額は前記同様金七〇万円)がなされたこと、右各契約における当事者双方の真意は、金一五〇万円の支払がなされない限り原告は右抵当権設定登記も代物弁済契約に基く仮登記もその抹消登記手続をしないことにあつたこと、及び原告は本訴において被告会社に対し、昭和二十五年九月二十六日前記代物弁済契約により本件不動産の所有権を取得したことを請求原因として、本件不動産につき所有権移転登記手続並びに明渡を請求したところ、昭和二十七年六月六日原告主張の条項により当事者間に裁判上の和解が成立したことは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで原告は右和解には当事者双方に三個の要素の錯誤があると主張し、被告は右主張事実を全部認めるので、当裁判所としては右自白に拘束されて本件和解は無効なものと認定せざるを得ないように思われる。しかしながら、或る意思表示に錯誤があつたと主張する者は、当該法律効果を構成する個々の事実のほか、右事実に対する自己の法律的評価ないし法律的解釈をも主張するのであつて、これに対する相手方の自白の効果は、右の事実関係についてのみ生じ、右の評価ないし解釈には及ばないものである。即ち、意思表示の錯誤とは表意者の表示の内容と内心の意思とが合致せず、かつ右の不一致を表意者自身が表意当時において知らなかつた場合を指称するものであるから、錯誤を主張する者は、表示の内容並びに表意者の内心の意思という二個の事実、右の二個の事実が客観的に合致しないという判断、及び表意当時においては表示の内容と内心の意思とが合致しないことを知らなつたという事実を主張することを要するのであつて、これに対し相手方としては右の三個の主張事実について認否をなせば足り、表意者の表示の内容と内心の意思とが客観的に合致するか否かは裁判所が判断すべき事項である。

これを本件についてみると、本件和解成立当時における原被告双方の真意は、原告の被告に対する貸金合計金二九五万円につき条件附代物弁済契約(当事者双方はこれを代物弁済の予約と解しているようであるが、当事者間に争いのない和解条項第三項は、被告が割賦金の支払を一回でも遅滞するときは被告は期限の利益を失い、原告から何等の意思表示を要せず、本件不動産は前記金二九五万円の債務の代物弁済として原告の所有に帰するものと定めているから、右の代物弁済は契約完結の意思表示を要せず条件成就によつてその効力を生ずるものであることが明らかであり、従つて右の条項は代物弁済の予約ではなく条件附代物弁済契約を定めたものであることが明らかである)をなしつゝ、右の契約に基く新たな所有権移転請求権保全の仮登記手続をすることなく、債権額を金七〇万円とする前記抵当権設定登記及び停止条件附代物弁済契約に基く所有権移転請求権保全の仮登記の効力を存置させ、金二九五万円の弁済がなされない限り右の各登記の抹消登記手続をしないことを約することにあつたのであつて、右の事実は当事者間に争いがなく、又当事者間に成立した和解条項が原告主張のとおりのものであることも、当事者間に争いがない。

そこで本件和解条項第三項及び第五項の内容を総合して合理的に判断すると、当事者双方の合意の内容は次のとおり解釈することができる。即ち、先ず昭和二十五年三月二十七日受附を以つてなされた抵当権設定登記に関しては、当事者間においては原告は抵当権の内容を和解条項第二項記載のとおりに変更すると共に、第三者に対する関係では登記上の債権額金七〇万円についてのみ抵当権設定の効力を対抗し得ることとして、右抵当権設定登記の効力を維持させることとし、同日受附を以つてなされた代物弁済契約に基く所有権移転請求権保全の仮登記に関しては、当事者間においては、代物弁済の停止条件の内容を、和解条項第二項記載のとおりに変更すると共に、第三者に対する関係においては、本件仮登記が原告の所有権移転請求権の順位を保全する効力をそのまゝ維持させることとしたものである。

けだし、抵当権設定登記は、他の事由によつて抵当権が消滅しない限り、抵当権の実行により所有権移転登記並びに引渡が完了する迄は抹消されるべきものでなく、また抵当権者が抵当債権の弁済方法を変更して弁済期を延期したにも拘らず、その旨の登記を経ていないときは、第三者に対する関係においては既に登記簿上記載された債権額につきその記載にかかる期限到来後は抵当権を実行し得るに至つていなから、単にその実行をしない状態にあるものと解し得るから、本件抵当権設定契約並びにその登記は本件和解によつてもその効力を失うことがないものと言うべく、又代物弁済契約は、これに基く所有権移転請求権保全の仮登記によつて第三者に対抗し得るものではないから、後に当事者間の合意によつてその契約内容を変更しても、当事者相互間においてはもとよりその効力を生じるのであり、又右の仮登記もそれだけでは対抗力を有せず、後になされるべき本登記の順位を保全する効果を有するのみであり、本件和解成立に前記代物弁済契約の条件が成就していた事実がない(本件和解成立前既に何度か右の条件が当事者間で変更された事実も、当事者間に争いがない)以上、右仮登記の効力もまた本件和解によつて消滅することがないのである。

本件和解における当事者双方の真意が前記のとおりであり、本件和解条項が右述のような意味を有するものである以上、本件和解条項は当事者双方の内心の意思を正しく表現したものと言うべきである。

なお附言すれば、代物弁済の条件が債務者に不利に変更された場合には、当事者間の効力はともかく、後順位の抵当権者又は第三取得者との関係においては、登記簿上に記載された従前の条件を超える限度において対抗力を持たないことは言うまでもない。従つて原告の被告に対する債権のうち登記された金七〇万円を超える部分については、本件抵当権設定登記及び仮登記の効力は及ばないから、その対抗力を右超過部分の債権に流用することは許されず、この点で本件和解条項第三項の合意は第三取得者たる補助参加人との関係において制限されているわけである。しかしながら、このことはもともと原被告双方が最初の契約において被担保債権を登記簿上金七〇万円としたときから存在していた問題であり、当時実際の債権額を忠実に登記簿上に表示することを敢てしなかつた原告において甘んじて受けるべき不利益であつたのであり、本件和解によりその不利益が増大したものではない。このことは、仮に右金七〇万円を超える債権額のために本件和解成立当時新たに抵当権設定登記及び代物弁済の仮登記がなされたとしても、何等差異がないのである。

原告が以上二つの対抗力の制限につき考え違いをしていたとしても、それは原告が法律解釈上当然払うべき注意を怠つた結果にすぎず、また本件和解成立当時既に右の対抗力の制限をとり払う方法は補助参加人に対する関係においてはなかつたのであるから、今日に至つて右の考え違いを要素の錯誤として主張することは許されない。

ところで原告は、和解条項第三項においては原告が本件不動産を取得すれば金二九五万円の債権全額が消滅するものとしながら、同第五項によれば、原告は金七〇万円の弁済に代えて本件不動産を取得し得ることになる、と主張するが、和解条項第五項は、被告が同第一、二項の債務を弁済期に履行したときは、原告は前記各登記の抹消登記手続をすべきことを定めているに過ぎないから、その意味は前記のとおりに解すべきものであつて、当事者間において抵当債権額を金七〇万円のまゝとする旨の合意がなされたと解すべき何等の根拠も存しない。従つて同項の解釈上原告は金七〇万円の弁済を受けたときは抵当権並びに所有権移転請求権の各登記の抹消登記手続義務を負うものでなく(但し後順位抵当権者又は第三取得者との関係において、抵当権の実行又は滌除がなされた場合についてはこの限りでないことは、繰返すまでもない)、又本件不動産の代物弁済によつて金七〇万円の債権のみが消滅すると言うものでもないことが明らかである。

次に原告は本件抵当権も代物弁済契約も本件和解の成立に伴い消滅したと解し得る旨主張するが、本件和解条項第三項と第五項との間に矛盾の存しないことは前記の右両条項の解釈によつて明らかであり、従つてまた本件抵当権も代物弁済契約も共に消滅していないことも、前記判断のとおりである。

更に原告は、原告が本訴において代物弁済の予約完結の意思表示をなし、本件和解締結に当つて右の意志表示を撤回したことを前提とし、一度なした予約完結の意思表示を撤回することは許されないとする説を挙げ、原告も被告もこの説に従わないとしつゝ、右の説が仮に正しいとすれば本件和解には錯誤がある、と主張するが、当事者がその正しいと信ずる法律解釈に従つて意思表示をなし、かつ現在もそれを正しいと信じているならば、当該意思表示にはなんらの錯誤もないと言うべきである。のみならず、停止条件附代物弁済契約には契約完結の意思表示は不要であるから、この点においても右の主張は理由がない。

結局本件和解には当事者双方に内心と表示の不一致を認め難く、原告の主張するような錯誤は存しないと言うべきである。よつて本件訴訟は本件和解の成立によつて終了したことが明らかであるから、その旨を宣言すべく、本件期日指定申立後の訴訟費用は敗訴当事者である原告に負担させることとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 近藤完爾 入山実 大和勇美)

目録

東京都中央区八丁堀二丁目二番地の八

一、宅地 三〇坪一合三勺

同所同番地七所在家屋番号同町一七四番

一、鉄筋コンクリート造陸屋根三階建店舗一棟

建坪 二〇坪、二階二〇坪、三階一八坪二合三勺

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